2019年も気付けば3ヶ月が過ぎ、4月だ。この3ヶ月は一人考え事をしていた。上司から仕事上の答えのない課題を出され、それについて悶々と悩み続ける日々だ。
休みの日ももやもやして、心が晴れない。「考えること」を強制されることほどの苦痛はないと思う。
そんな地獄もようやく目途がついてきて、ブログを書いて憂さ晴らししているというわけだ。ここ数日、ほぼ毎日早朝と深夜に、自宅のの二つ隣のファミレスに缶詰になっていて気づいたことがある。
宿題自体は決して好きではないが、人の少ない時間帯にお店で何かをする時間というのは案外嫌いじゃないことだ。大学生の頃には教授から与えられた無理難題のレポートをあーでもないこーでもないと悩んでいたものだ。そう考えると、やっていることは今もそう変わっていない。
周りを見渡すと、みんな思い思いに時間を過ごしている。高校生が勉強していたり、フリーランスの人だろうか、たくさんの資料を手に文章を書いている人もいる。
派手ではないけれど、静かで強いエネルギーを感じる。中にはエネルギーが有り余って、大声ではしゃいでいる若者たちもいるが、それもまた一つのエネルギーだ。
みんなそれぞれにがんばっているんだなあと感じる。それは当たり前のことではあるけれど、同じ会社の同年代の人たちと一緒に居るだけでは味わうことはできない。
同じような思いになった本がある。荻原浩さんの「それでも空は青い」だ。
この本は全7話からなる短編集だ。時代も背景もバラバラで、それぞれがひと癖もふた癖もある。
この小説の最も特徴的な部分は、登場人物がみんな思い描いた通りの人生を送れていない人たちばかりということだ。夢を諦めた人、離婚、事業が失敗した人など、苦労を経験した人たちばかりだ。
小説として見ると「そこまで思い通りにならないことないだろ」と思ってしまう。私たちは無意識の中で、小説に対して、「努力する人は報われる」とか「登場する男女が結ばれる」といったある種の安心感を持っているのだと思う。
現実はそううまく行くことばっかりじゃない。自分が思い描いていた人生をそのまま実現できた人なんていないだろう。みんないろんな壁にぶち当たって、迷いや葛藤を抱えながら、時には方向修正しながら生きている。
全部うまくいったから良いわけでもないし、うまくいかなかったから悪いわけでもない。その過程の全て合わせてその人の人生なのだ。
そんな一人一人の生々しい人生に寄り添った短編集だ。