エッセイが好きで、色んな人のエッセイを読んできた。
以前の記事では小島秀夫さんのエッセイを紹介したが、あのエッセイは情熱が凄まじく、ハードボイルドな雰囲気で、これまで読んだことのない個性的ないいエッセイだ。また、別の記事では木皿泉さんのエッセイを紹介したが、あのエッセイも木皿泉さんの暖かい人柄が出ていて、これまた別の魅力がある。
エッセイの面白さは著者の性格や、雰囲気が文章に現れることだ。
俳優やアーティスト、作家など様々な職業の人たちがそれぞれの視点から物を見て何かを感じ、それを言葉にしている。当然職業が違えば、日々行っていることは違う。これまで体験してきたことも全く異なる。同じ人間であっても、構成されているものが違う。
結果的に自分とは異なる独自の価値観があって、ほ〜そんな視点があるのか、と驚きがある。著者の普通は別の人の驚きなのだ。
そんなエッセイが書きたい!とは思うけれど、なんでそんな興味の惹かれる文書が書けるのか。やっぱり住む世界が違うからか、それともまだ人生経験が足らないのか。もちろん、両方とも正解だが、それを言ってしまったら身も蓋もない。
こういう時はネタを探しに旅に出るぞ!と言いたいところだが、このご時世気軽には難しいので、この本を読むのはいかがだろうか。
岸田葉子さんの「エッセイの書き方」だ。
エッセイの書き方を題材とした本というのは、探してもそれほどないだろう。
この本の著者である岸本葉子さんはエッセイストだ。「エッセイを書く人」は何かの専門家であったり、芸能人であることが多い。そういった人たちはファンがいたり、特別な題材となる出来事が多く、一般の人に興味を持ってもらえる可能性が高いからだ。
その中において、岸本葉子さんはエッセイを書くことを生業にしている。そのため、題材は生活の中にある何気ないものであり、私のような凡人にも非常に参考になる。
読んでいて面白いエッセイはこんな感じだな、こういうものが書きたいなと漠然と思っていたことがバシッと説明されている。なるほど、エッセイというのはどんな人が書く時でも、読み手に寄り添って書く必要があるようだ。確かに私自身、時々筆者との温度差を感じてしまって、読むのをやめてしまうことがある。
エッセイというのは一見、一方的に自分の伝えたいこと、思っていることを書けばいいように思えるが、本当は読者がどんなものを読みたいのか、どうやったら面白く思ってもらえるか、考え抜いた上で生み出されているのだ。これは立派なコミュニケーションだ。
以前のように自由に移動できず、直接的な体験を行いにくい昨今、エッセイから得られる個人の思いや経験の価値は相対的に上がってきているのではないかと思う。
直接人と話すことができなくても、人とのコミュニケーションから得られるものの価値は不変であり、本は著者と対話する方法のひとつだ。エッセイ本によって、著名人の価値観を感じることももちろん大切だが、我々のような凡人のエッセイというのも発信する意義があるのではないかと思う。