言葉の羅針盤

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仕事中、自分の発する言葉に常に注意している。相手に失礼なことはないか、勘違いされるようなことはないかと、使う言葉を選びに選んで話している。

その反動か、 時々汚い言葉を使いたくなる。たまには自分の思ったことを思ったように表現したくなる。

「まじ、めんどくせー」とか、「ちょーむかつく」みたいに、JKが発するような本音をだれかにぶつけたくなる。

「このハゲー!」なんて叫べたらさぞかし清々しい気持ちになるだろう。

汚い言葉に限らず、自分の言葉をありのままに言うというのは社会の中では難しい。丁寧な言葉というのはそういった自分の思い、感情を隠すための言葉なのだと思う。

先日会社の飲み会へ行った。この飲み会は社内のイベント担当を半強制的にやらされているメンバーだ。多くのメンバーが職場の若手であるが数人だけ、40歳後半の人たちがいた。その中の一人に、かっこいいことを言うおっちゃんがいた。

話の内容を要約すると、「どんなことでもまじめに取り組めよ」とか、「若者はやりたいようにやればいい」といった内容であった。

その内容以上にそのおっちゃんの発する言葉に心が震えた。その言葉が持っている「見えない力」のようなものを感じた。

「言霊」という言葉がある。言葉に魂が宿っている、まさにそんな感じだ。言葉の一つ一つにその人の人間性器の大きさのようなものが宿っていた。

同じようなことを若松英輔さん「言葉の羅針盤」という本を読んで思った。

「光」「魂」など、ある言葉についてさまざまな偉人たちの言葉を引用しながら、その言葉の本質について、考察しているエッセイだ。

どの言葉についても深く考えられていて、その言葉の中に存在する潜在的な思いや、その言葉の持つ空間、時間を的確に捉えている。

また、そのどれもがきれいな言葉で語られており、その言葉には優しさや強さを感じる。

時々「言葉」に対して、内容以上の「力」を感じる時がある。どうやったら、言葉に力を宿すことができるのだろう。

恐らく、そういう力は一朝一夕では持つことはできないのだろう。自分で考えて、もがきながら、色々な良いこと、悪いことを経験する事で、自然とその人のの言葉に「力」が宿って行くのだろう。

その飲み会の二次会の際にそのおっちゃんは「これで飲んでこい」と二次会のお金を出してそのまま帰って行った。

とことんかっこいいおっちゃんだ。

 

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