まちの本屋

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私はお気に入りの本屋を3つ用意している。

それぞれの本屋は自分にとって役割が違う。

1つ目は最も頻繁に行く、家の近くにあって、規模は小さくて品揃えはそこまでよくないのだが、なんとなく居心地が良くて、特に用もなく通ってしまう店。

2つ目が気分転換用の本屋。普段はあまり行かないけど、ときどきメインの本屋に少し飽きてしまった時に行く店だ。

3つ目がなんでもそろっている、街中にある大規模な本屋だ。欲しい本の題名や、キーワードがすでに決まっている場合はこちらに行く。やはりなにか特定の分野のものを探す場合には品揃えが多いところが強い。

どの本屋に行く場合でも、お目当の本を探す前に、私は結構店の中で寄り道をする。むしろ過ごす時間の大半が寄り道だろう。

その本屋を回って今週はどんな本が推されているのかを見たり、全く分野外の本を見ると新鮮な気持ちになる。

ひとつの本屋で満足できず、色々な本屋に行きたいと思うのは自分の想像のつかない本との新しい出会いを求めているからだろう。

 

お盆休みに実家に数ヶ月ぶり帰省した。私が高校生の時によく利用していた、実家の近くの本屋へ用もなく行った。規模は小さいが、とても居心地のいい本屋だ。

そこで一冊の本を買った。田口幹人さんの「まちの本屋」だ。

 

 

前々から読みたいと思っていたが、結局今まで買わないまま忘れてしまっていた。

 

さわや書店の店長である著者の本屋に対する気持ちと、これからの本屋の在り方について、意見が述べられている。

この本のなかで、農業の「耕す」に例えて、本屋を「耕す」という言葉が使われている。すでに売れている本を並べるのではなく、その本が売れるようそのお店ならではの棚を作り上げて、売れる本を生み出す。良い土を作ることで、良い野菜が作れるという考え方だ。

たしかに、色々な書店での並べ方によって、その本に対する印象は変わってくる。本を並べた店員さんの気持ち、思いを感じるとき、その本がすごく魅力的に思える時がある。そして、その本屋に対して、居心地の良さを感じる。

本棚を通して、店員さんと会話しているのだ。

 

最近、本屋がひとつもない地域「書店ゼロ自治体」が増えているとネットのニュース等で話題になった。確かにネットでの買い物が普通になって、わざわざお店に足を運ばなくても、本を買うことができる。私の近くの本屋もいくつかなくなってしまった。

本書にも書いてあることだが、ネット書店では自分が欲しいもの、知りたいキーワードがわかっているものを買うことに優れている。しかし、本の題名や、キーワードを打ち込むだけで、すぐに辿り着いてしまう。

寄り道ができないのだ。今まで全く関心がなかったもの、思いもしなかったものに出会うことはない。

本屋に買いに来る人たちは目的の本を買いに行く時も、目的の本「+α」を求めているのだと思う。

 

ふと見つけたものを手に取る。パラパラと読んで見て、なんとなく気に入ったから買ってみる。本好きにとってはかけがえのないことだが、そんなことはネットではできない。

ただ売上上位のものがランキング形式で並べられているだけでなく、そこのお店の個性、店員さんの個性が見えて、新しい出会いを生み出してくれる、そんな本屋であればネット書店に負けることなく、まちの本屋として地元の人から愛される場所でい続けれるのではないかと思う。

 

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