先日大学時代のころのサークルの先輩たちとお酒を飲む機会があった。わりと頻繁に誘っていただける、とても大好きな先輩たちだ。
私は大学の同級生にあまり友達がいない。周りの人たちが大学をサボったり、真面目に講義を聞いていなかったりして、「おれはそんなやつらとは違う!」と今考えれば行き過ぎた反抗心があって、あまり関わることはなかった。
また、これは自分でも自覚していることなのだが、自分は少し人と「違っている。」もちろんよくない意味でだ。
それは目に見えてわかるものでもないし、確信を持てる「何か」があるわけではない。しかし、周りからは「ちょっと変わった人」と思われることが多い。(どストレートに言われたことはないが)
そんな自分を先輩たちは「個性」として受け入れてくれ、可愛がってもらえる。なんて器の大きい人たちなんだと思う。規格外だ。
千田琢哉さんの本に「器の大きい人は人の見ていない時には真価を発揮する」というのがある。
かなりインパクトの強い題名だ。おそらく器の大きい人は絶対に手に取らないだろう。
千田さんの本は何冊も読んだことがある。正直どれも同じような内容ではあるが、毎回とても元気になる。
それは歌と同じだ。いろんな人が「頑張れ」であったり、「大好きだ」というような伝えたい気持ちを色々な言葉を使って表現している。
伝えたい気持ちなんて数える程しかないのだ。それでもメロディーであったり、ちょっとしたニュアンスの違いで、全く同じものはない。毎回新鮮な感動がある。
善い行いや努力は人に見せびらかさずこっそりと行う、どんな相手でもマウンティングしてはいけないなど、この本に書かれている器の大きい人間になるための方法はそう難しいものではない。
やはり、人生を良い方向に進めるものは日々のちょっとしたことの積み重ねなのだ。劇的に改善する方法なんてない。毎日しっかりと今できることを楽しみながら、苦しみながらやっていくほかない。
私の思う器の大きい人は自分と異なった価値観や意見に出会った時になんでそんなことをするのか、なんの意味があるのかといった、その人の根本の部分を否定しない人だと思う。
器の大きい人は自分の物差しだけでその人のことを計らない。自分が知らないことがあることがわかっている。
器の大きい人は自分が小さいということを自覚している。
器を大きくするためには「本を読むこと」が効果があると個人的に思っている。
本を読んでいると、その著者の様々な考え方や意見に触れることができる。しかも著者によって考え方は十人十色だ。自分と異なる意見に触れるから新たな発見があるのだ。
本を読むということはその著者特有の「意見」や「個性」を受け入れることそのものなのだ。
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