以前にも話題にしたが、私は人から変わっていると思われることがよくある。ナチュラルな状態でそう思われると、やはり少しいやな気持ちになる。
だから、初めからちょっとふざけて、自分から変わった人だと思わせるようにするときもある。そんな自分を情けなく感じるときもある。
ただ最近は人と違うことに感謝している。
私の経験上、学生時代はおそらく人と同じようになりたいと思っていても、大学生や、社会人になると、人と違う存在になりたいと思うようになる。
学生時代は生きづらい。「変わっている」と思われると、他の人から目をつけられる。
私は中学生の一年生のころ、とても陽気な人間だった。ダジャレが好きで、面白いことをする子どもであった。しかし、それがクラス内カースト上位の人たちの目に止まり、軽くいじめられた。
あまり覚えていないが、期間としてはそれほど長くなく、すぐにいじめの対象は別の人に変わっていった。
それからはそういう人たちを恐れながら、周りの人たちと馴染み、普通の人と思われるような、自分の程よい立ち位置を見つけ、こっそりと生きてきた。
大学生、社会人になってからは、仕事のことを考え始める。自分はどんな仕事に就こうか、自分はなんの役に立つのか。そして、自分にしかできない仕事はなんなのか。
人にはなくて自分にはあるもの、それを生かした仕事はなんなのか。結局そんなものが20代前半でわかるはずもなく、サラリーマンになった。
今も「何か特別な人」になりたいという気持ちはあるが、最近はそんなに急がなくてもいいんじゃないかと思い始めてきた。今の仕事をしながら、自分の趣味に夢中になって生きていたら、最終的に人と違う何かを得られる気がしている。
本屋でいがらしみきおさんの「花火の音だけ聞きながら」という本を見つけた。
表紙には花火が打ち上がる町の夜景が描かれている。すごく綺麗で、なんとなくさみしい。その表紙に心惹かれた。最近、夜景が描かれている本を買うことが多いので、単に自分が夜景の絵に弱いだけかもしれない。
この本はいがらしみきおさんというマンガ家のエッセイだ。私はこの本を買うまでいがらしみきおさんのマンガを読んだことがなかったが、表紙から「ほっこり」するようなエッセイを期待していた。
結果からいうと全く違った。この人は完全に「変わった人」だ。独特な感性を持っていて、内容に共感できない。
否定しているのではなくて、言葉や社会について、まるで自分には全く関係のないことのように、客観的に見ている。そんな風に考えたことはなかったという驚きの方が大きい。
そしてかなり正直だ。普通なら不謹慎だと否定されるのを恐れてしまいそうな内容も、関係する人たちへ気を使いつつ、自分の思うことをそのまま書いている。
そんな危ういエッセイではあるが、おそらく反感を買うことはあまりないんじゃないかと思う。本人自身が清々しいほどに自分が「変わった人」であることを認めている。周りの人とはちがう感性を持ち、それを隠さず、堂々と表現している。
そのことこそが、いがらしみきおさんの漫画が独特な世界観があり、人から愛される源となっているのだろう。
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